京子スペクターはデーブ・スペクターの妻です。

 

株式会社スペクター・コミュニケーションズ代表として務める傍らライフスタイル・コーディネーターとして活躍しています。

 

フジテレビ系バラエティー番組で、京子スペクターのセレブな生活が紹介されました。

 

各国大使に数多くの友人を持ち、交流も盛んである京子スペクターの経歴を調べてみます。

名前:京子スペクター

出身地:千葉

生年月日:1952年1月2日

身長:167㎝

体重:54㎏

血液型:B型

職業:タレント、エッセイスト、TVコーディネーター

 

 

京子スペクターの経歴

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京子スペクターはお父様が商社マンで海外勤務時の話をよく聞かされ、海外に憧れを持っていきます。

 

子供の頃は、英語が好きだったのでスチュワーデスか、海外のホテルで働きたかった、と語っていました。

 

高校を卒業後ハワイに留学しますが、勉強途中でハワイの英語はアメリカ本土の英語と違うことに気づき、1年後にユタ州ソルトレイクのビジネススクールに入学、2年後に卒業し帰国します。

 

その3年後、日本語の出来る総合案内係として「コンシュアージ」を探していたロサンジェルスのホテルで働くことになります。

 

デーブ・スペクターが、日本人の旅行案内員をしているときに、ロサンゼルスのリトル・トーキョーにある「ホテルニューオータニ・ロサンゼルス」でコンシエルジュとして働く京子と出会いました。

 

デーブ・スペクターは京子が日本人とわかって日本語で話しかけてきました。

 

当時、日本語が話せるアメリカ人が珍しく、「何でこの人こんなに日本語が話せるんだろう?」というのがデーブ・スペクターへの第一印象だったようです。

 

そして、3年半程交際して1981年に結婚します。「結婚したい」と伝えたのは京子さんからと語っていました。

 

デーブ・スペクターは米国ABC放送のプロデューサーとして番組を担当することになり、撮影で日本にもよく行くようになります。

 

日本での仕事が増え、日本に住むようになったある時に、デーブが国賓のパーティに招待されました。

 

しかし、どうしてもスケジュールが調整できず、京子さんが代行で出席しました。

 

それがきっかけに、各国大使の方々との交流が増えていき、ヨーロッパのロイヤルファミリーの取材や大使公邸訪問等のテレビコーディネートを担当するようになっていきます。

 

テレビで放送されていたのもパーティでした。

 

連日パーティで忙しい日々と言われていたのは、コーディネーターとしての仕事だったのですね。

 

 

京子スペクターはデーブ・スペクターの妻

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デーブ・スペクターは、株式会社スペクター・コミュニケーションズ代表取締役。日本を拠点に活動するアメリカ人テレビプロデューサー、放送作家、著作家、タレント、コメンテーターです。

 

小学5年生の頃、日本からの転校生に日本語で話し「日本語(の発音)が上手だ」と褒められたことがきっかけでに日本に興味を持つようになります。

 

日本人学生を対象にした、シカゴ日系人会主催の日本語弁論大会で2年連続優勝を果たしています。

 

当時、日系人でないアメリカ人の子供が日本語弁論大会に優勝することは快挙でした。

 

日本語に対する関心は、半端ないですね。

 

1972年上智大学に留学し、1975年シカゴ放送学校を卒業。

 

京子さんとの間に子はなく、妻と共にヒルトン東京に長期滞在し、ホテル生活は十数年に及び、そのユニークな生活スタイルが話題となっていましたが、番組では40畳のリビングが紹介されていたので家を購入したのでしょうか?

 

デーブ・スペクター気遣いの人だと京子さんは言っていました。

 

観光案内をするときは、事前に前調べをしたり、食事に行くときも前もって先に食事をして内容を確認するようです。

 

京子スペクターは、「デーブと結婚したことを、とても幸せに思っていますし、毎日感謝の気持ちでいっぱいです。」とインタビューで語っていました。

 

まとめ

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デーブ・スペクターのイメージがいまいち理解できない人だったのですが、調べていくうちに人として素敵な人だなと思うようになりました。

 

京子スペクターも、そのセレブの根拠が理解できなかったのですが、何となくわかってきました。

 

デーブ・スペクターは以前、奥様に負担をかけないよう毎日2人で外食していると言ってました。

 

素敵なご夫婦です。