<松山容子さん>ボンカレーの看板女優が50周年にコメント、という記事を見つけました。

 

東京都内で行われたボンカレーの50周年記念イベントにビデオメッセージを送った、という内容です。

 

今年81歳の松山容子ですが、変わらず美しい方でした。

 

「私にとりまして、ボンカレーとは、ほのぼのとした幸せを運んでくれる宝だったと思います」と、思いを語っていました。

 

松山容子とは

松山容子は、昭和期に活躍した女優です。

 

愛媛県松山市で銀行を経営する名士の家に生まれました。

 

愛媛県立松山南高等学校在学中、『アサヒグラフ』(1956年2月5日号)の表紙モデルを務めたのがきっかけで、松竹の役員の目にとまり、卒業と同時に松竹ニューフェイスとして入社。

 

主に時代劇映画で活躍していました。

昔からスカウトってあったのですね。

 

松山容子の琴姫七変化

琴姫七変化は、日本テレビ放送網系列で1960年12月31日から1962年12月29日にかけて全105話が放送されました。

 

琴姫は、凛々しい男装、華麗な剣の技で闘う姫君です。

 

”徳川11代将軍徳川家斉の末娘ながら柳生新陰流免許皆伝の腕前を持つ琴姫は、因習と追従に明け暮れる生活を嫌がり、御前試合で結婚相手候補の男たちを次々と打ち負かすと、江戸城を飛び出して旅に出る。

姫装束から機に応じて小姓、若衆姿、股旅、鳥追い、芸者、渡世人等に姿を変え、行く先々で「許しませぬぞ!」の決め台詞とともに悪を懲らしめてゆく。”(引用:wikipedia)

 

非常に品があって美しく、殺陣さばきも軽やかで綺麗なお姫様でした。

 

その時のスポンサーが大塚製薬でした。

 

松山容子とボンカレー

大塚製薬のボンカレーは

 

昭和43年2月12日に、大塚食品工業より世界初の一般向けの市販レトルト食品として発売された製品です。

 

発売以来、松山容子はパッケージモデルを務め、CM、ホーロー看板でも知られています。

 

ホーロー看板では、松山容子のボンカレー、大村崑のオロナミンC、浪花千栄子のオロナイン軟膏、これらを「大塚三羽ガラス」と言われていたらしいです。

 

松山容子の現在

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昭和46年3月、『くれないお仙』や主演映画『めくらのお市』シリーズの原作者である漫画家、棚下照生と結婚。

 

人気の絶頂期に芸能活動を縮小〜休止し、事実上の引退をしました。

 

ボンカレーの50周年記念イベントにビデオメッセージを送られています。

 

松山容子のメッセージです。

”私にとりまして、ボンカレーとは、ほのぼのとした幸せを運んでくれる宝だったと思います。

 

ずっと皆さんにボンカレーさんと呼ばれていましたので、それが大変うれしい。

 

お料理があんまり好きではない私にとって、うってつけのものだ。大変なお品ができ上がったものだ、と思いました。

 

(50周年を迎えたボンカレーについて)引退しましたらそれきりと思っておりましたけれど、ボンカレーさんが活躍してくれるので、今でも皆さんにお目にかかれる。

 

いつまでも愛されるボンカレーを作り続けていただきたい。

 

これからも、50年と言わず、100年も200年も、いえ、永久(とこしえ)に、ボンカレーが続いていきますように、

心からお祈り申し上げております。

 

 

まとめ

松山容子の「琴姫七変化」とってもきれいな方でした。

 

今でも、変わらず、品よく美しい方です。

 

81歳まだまだお元気です。

 

「琴姫七変化」で検索すると動画が出てきます。

 

白黒で主題歌にも聞き覚えがあります。

 

興味のある方、検索してみて下さい。