安室奈美恵にとって転機となったタイミングはなんといっても小室哲哉との出会いではないでしょうか。

 

当時は篠原涼子・globeなどの歌手に数々のヒット曲を提供し音楽界にとって小室哲哉といえば神がかったような存在でした。

 

安室奈美恵の転機になった小室哲哉との出会い

小室哲哉は提供する楽曲のすべてがヒット作になるので、安室奈美恵にとっても当時小室哲哉に楽曲をもらえるのはありがたくもあり、逆にプレッシャーに感じていたともいいます。

 

「他の人たちは売れているのに私が歌って売れなかったらどうしよう?」10代の安室奈美恵はそんな不安な気持ちと向き合いつつ、小室哲哉のプロデュースを受けるようになるのです。

 

小室哲哉が安室奈美恵に注目したのはスーパーモンキーズ時代からだといいます。

 

1993年のロッテ「マスカットガム」のCMで愛してマスカットを歌い披露している姿から注目していたそうです。

 

まだまだ知名度も低く認知度もない時期に、小室哲哉の興味を惹いていたというのは驚きです。

 

当時は松浦氏のプロデュースを受けていた安室奈美恵ですが、1995年にエイベックスに移籍したと同時に小室哲哉の本格的なプロデュースが始まりました。

 

 

安室奈美恵を本格的にプロデュース開始!

第一弾となったのは「Body Feels EXIT」で軽快なダンスミュージックとしてオリコンチャート3位を記録して、80万枚の販売数になりました。

 

さらに「Chase the Chance」を発売しオリコンチャート1位を獲得!当時はミリオンになり一気に安室奈美恵の名前は世の中に知られるようになりました。

 

まさに当時ミニスカートに高いヒールを履いて、色黒な女性が渋谷の街を歩くようになりアムラーブームが起きた時代でもあります。

 

この2曲の発売はたったの1ヶ月の間に行われたものであり、どんどんオリコンチャートが上がることを嬉しく感じていたのだとか。

 

その後発売されたのが「Don’t wanna cry」でオリコンチャート初登場1位を獲得するなど安室奈美恵の勢いはとどまることを知りませんでした。

 

安室奈美恵と小室哲哉にとってお互いがいい刺激となりながら、才能を刺激し合うとても意味の深い関係性であったこともわかります。

 

小室哲哉にとっても安室奈美恵との出会いがあり一気に地位を作り上げ、安室奈美恵にとっても小室哲哉のプロデュースで一躍有名人に上り詰めたといえるでしょう。

 

とはいえ楽曲は小室哲哉でしたが、当時のアムラーブームを巻き起こしたファッションは安室奈美恵が考えたものなど、お互いの良い部分を生かした結果でもあります。

 

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