体操選手だった田原直哉がスキーに転向し、エアリアルスキーで2018年の平昌オリンピックに出場します。
どちらも空中で回転しているのですが、足に板を付けて回転するのです。
大空に向かって大きく回転する姿は、とても華麗です。
田原直哉選手は、何故スキーに転向したのでしょう。
田原直哉は元体操選手
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生年月日:1980年12月24日
身長 :165㎝
血液型 :A型
出身 :和歌山県
出身校 :日本体育大学卒業
田原直哉選手は和歌山北高校時代まで県内で過ごし、もともとは体操競技で五輪を目指していました。
8歳から体操をはじめ2001年にナショナルチームになっています。
2004年アテネ五輪では期待されながらも選考会で振るわず落選します。
北京五輪の時は右肩を痛め断念します。
そんな時に、トリノ五輪のエアリアル競技を見て、2006年エアリアルに転向を決めまています。
“『家族からは、働くよう反対された。
とにかくオリンピックに出たかった。
体操は好きだけど、固執したら出られない。
そのまま辞めようと思う方が難しかった。
正直、辞めれるなら、その方が楽だったのかなと思う』と語っています。” |
体操では、2001年全日本学生選手権3位、2005年東アジア杯団体銀メダルなどが主な実績です。
『体操は好きだけど、固執したら出られない。』この言葉重いですね。
引き際を見極めず、執着していたら前にも進めず、本来の目的を見失いチャンスを逃す、です。
田原直哉のエアリアルスキー
”エアリアル(aerial)は、空中演技を競うスキーのフリースタイル競技の1つです。
長さ160cm程度のスキー板をはいて空中に飛び上がり、宙返りをして着地するまでの短い競技である。
英単語としてのエアリアルの意味は「空中」などを指す。”(wikipedia)
スキー競技のフリースタイルスキーに分類されるのが、モーグル、ハーフパイプ、スロープスタイル、そしてエアリアルです。
「ジャンプ」は飛行を競いますが、「エアリアル」空中演技を競います。
スキー経験はゼロ
田原直哉選手はスキー経験はゼロに近かったが「体操の感覚が生きるのでは」と、体操では叶わなかった五輪出場をエアリアルに求めていました。
ただ空中感覚はあってもスキーはできない。「賭けだった」と語っています。
2006年9月に練習場があった福島に転居します。
スキーは「ハ」の字から始めた、と言っています。
スキーの「ハ」は、初心者がはじめるところからです。
そして、スキーのインストラクター養成コースに入り、人に教えながら自分も練習し、自分を追い込んでいったそうです。
しかし、簡単にできると思った回転やひねりは、「板とブーツで重心が変わるから、体操とは全然違った」。と田原は振り返っています。
田原直哉の大会結果
転向2年目の2008年には全日本スキー選手権で3位。
2009年の全日本スキー選手権で2位となり、世界選手権の日本代表。
2011年から全日本スキー選手権2連覇
2012年のワールド杯モンガプリエル大会ではの3位となり、 日本人男子選手として初めてとなる表彰台に上がった。
2018年の平昌五輪出場
まとめ
田原直哉は、「オリンピックに出たい」という執念で、体操からスキーに転向しました。
「五輪でメダルを取りたいという思い」を原動力に、民宿に居候して働いたり、スキー場の整備のアルバイトをしたりしながら遠征費を捻出し、競技生活を続けてきました。
37歳のオリンピックデビューです。
平昌オリンピックでの、田原直哉の華麗なエアリアルスキーを応援します。