アイスホッケーGKの藤本那菜が注目を集めています。
その美しさもですが、競技中につけているど派手なヘルメットに目が行きます。
可愛い笑顔と打って変わり、アイスホッケーのハードさとゴールドキーパースタイルのミスマッチ感がとてもカッコいい!
平昌オリンピック用には「松竹梅」デザインのヘルメットです。
ヘルメットに好きな絵柄を入れられるのはGKだけの特権!
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平昌オリンピックでは、藤本那菜自ら水墨画をイメージしてデザインしました。
額の上に松、後頭部に竹、右脇に梅が描かれ、左には朝日を背景にした富士山などが描かれ、右前面には飛躍する鶴も舞っています。
「縁起物を入れたかった。日本を背負うという責任感も増します」と語っていました。
ヘルメットにデザイン画をおこし、塗装したのは釧路市の塗装業梅木啓吾さん。
”水墨画を意識し、色の濃淡や柄の立体感を表すため、ほとんどを筆で仕上げた。”と言っていました。
藤本那菜はこれまでも、個性的なヘルメットで戦っています。
2014年ソチ五輪では、GK3人がおそろいで、黒地に桜の舞うデザインを着用していました。
札幌学院大時代で使っていたのは、赤とピンクのハイビスカス柄。氷上の南国ですね。
札幌大谷高時代には七福神が描かれたヘルメットもありました。
余り使っていなかったようですが、錦鯉もありました。
藤本那菜とアイスホッケー
藤本那菜のプロフィール
生年月日 :1989年3月3日
出身 :北海道札幌市
学歴 :札幌大谷高等学校卒業。札幌学院大学大学院
身長 :163㎝
ポジション:ゴールキーパー
藤本那菜は、6歳よりアイスホッケーを始めています。
「でも、実はホッケーが好きではなかったんです。
ホッケーを選んだ、というよりも環境がそうさせました。
家の近くにリンクがあったこと、父がホッケー好きで子供にやらせたいと思っていたことがきっかけでした」
気が付いたらプレーしていたようですね。
フォワードやディフェンス、センターと全部のポジションを経験し、小学5年でGKに転向。
藤本那菜の父絢士(けんじ)さんは社会人チームでGKの経験をもっています。
それから絢士さんとの特訓がスタートし、基礎から学びました。
「那菜には(GK向きの)体の柔軟性があった」と絢士さん。
登校前の早朝にスケートリンクを借り切って練習していたようです。
高校2年時に日本代表に選出され、ソチ五輪では全試合に出場しました。
2015年の世界選手権では7位に終わりましたが、藤本那菜はベストGKに選ばれています。
ナショナル・ウィメンズ・ホッケー・リーグに参加
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アメリカの四大スポーツのひとつ、アイスホッケーは、氷上の格闘技と言われているほどハードなスポーツです。
女子アイスホッケーが冬季オリンピックの正式種目になったのは1998年の長野オリンピック。
2015年3月新たに女性リーグ「ナショナルウイメンズアイスホッケーリーグ」が創設されました。
ワンシーズンで最高2万5000ドル。
北米初の給料が出るリーグとして注目を集まていました。
藤本那奈はトライアウトを受けて、ニューヨーク・リベターズと契約。
「NWHLのトライアウトを受けて、このリーグで出来たら自分自身成長できるんじゃないかと感じて、コミッショナーからも情熱的なオファーを頂いて今シーズンチャレンジしたいと思った」と語っていました。
藤本那奈は60分フル出場を果たしました。
NWHL創立初試合、アメリカ初となる女性ホッケー・リーグで奮闘!歴史的な快挙です。
GKとしてのセンスがあったのでしょう。
本人もGKでなければ辞めていただろうと振り返っていました。
まとめ
「日本でアイスホッケーは、まだまだマイナーなスポーツですが、…」と語っていた時がありました。
でもメディアに選手一人一人をクローズアップされ、マイナーなスポーツが違った形でクローズアップされ注目を集めてきています。
『アメリカ女性ホッケー・リーグに日本人が入ってる!
アイスホッケーの可愛い選手は誰?
あのヘルメットって賑やかじゃない?あんなのアリ?…』等々
藤本那奈は、GKに転向した小学校6年生の文集に「夢はオリンピック出場」と書いていました。
その夢はソチ五輪と平昌五輪で実現しています。
次はメダル獲得です。
「スマイルジャパン」期待しています!